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5: 2019-03-29 (金) 15:14:49 njf ソース バックアップ No.5 を復元して編集 現: 2019-04-23 (火) 04:19:23 njf ソース 編集
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[[Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E3%81%B9%E6%94%BE%E9%A1%8C#%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9%EF%BC%88%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E6%96%B9%E5%BC%8F%EF%BC%89]] [[Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E3%81%B9%E6%94%BE%E9%A1%8C#%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9%EF%BC%88%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E6%96%B9%E5%BC%8F%EF%BC%89]]
 +*207ページ「空を見ろ! ミュンツァーの頭上に虹が出た」 [#xf5db46e]
 +
 +「鎮圧軍にミュンツァーが連行されるとき、その頭上に突如、虹が輝きました。」という記述があります。しかし、虹が出たらどうなのか分からなかったため、調べてみるとミュンツァーは虹の描かれた旗をシンボルとして使っていたようです。
 +
 +虹はノアの箱舟の時に現れたため、神との契約や同盟と言った意味があるそうです。
 +
 +H.J. ゲルツ著「トーマス・ミュンツァー 神秘主義者・黙示録的終末預言者・革命家」によると、ミュンツァーは、彼が中心となった反乱の途中で現れた太陽にかかった暈(かさ)が虹に似ていたことから、それを神による勝利の予告だなどと言って仲間を説教で励ましたという記述がありました。
 +
 +しかしその直後に反乱軍は諸侯軍に鎮圧されて虐殺されます。ミュンツァーはしばらく逃げてから捕まって拷問され処刑されます。
 +
 +このことを上の記述は指しているのかも知れませんが、虹ではなく日暈で、出たのは連行されるときではなくその前の説教の時です。
 +
 +また、その印象もかなり変わります。
 +
 +本の記述だと虹は神が殉教者に見せた最期の奇跡みたいですが、史実だと追い詰められ冷静な判断ができなくなった宗教者とそれに巻き込まれた者達の哀れな末路の予兆のようです。
 +
 +いずれにせよ虹を旗印にしていたことやその意味がこの本の中では説明されておらず、それではこの部分の記述の意味が分からないのではないかと思うので、こちらで指摘しておきます。
*224ページ 「人に歴史あり ヤコブ・フッガー2世(1459~1525年)」 [#k5775f91] *224ページ 「人に歴史あり ヤコブ・フッガー2世(1459~1525年)」 [#k5775f91]
Line 63: Line 80:
ルターには自分の事業を手伝って欲しかったようで、ルターが聖職者になるときいて最初は反対したそうです。 ルターには自分の事業を手伝って欲しかったようで、ルターが聖職者になるときいて最初は反対したそうです。
-その後は地元の仲間とともに訪れて多額の寄付も行っており、人望も資金力もあったようです。よって特に事業がつぶされているような気配はありません。+その後は地元の仲間とともに訪れて多額の寄付も行っており、人望も資金力もあったようです。そもそも、当時はまだ大学に行くのが珍しかった時代です。資金がなければ、ルターは大学に行けなかったでしょう。よって特に事業がつぶされているような気配はありません。
その後、何かあったのか、それとも若い頃に何かあったのかも知れませんが、一般的には父親の事業がフッガー家につぶされたことを、ルターの免罪符糾弾の動機とは考えられていないようです。 その後、何かあったのか、それとも若い頃に何かあったのかも知れませんが、一般的には父親の事業がフッガー家につぶされたことを、ルターの免罪符糾弾の動機とは考えられていないようです。
Line 95: Line 112:
なぜなら、その前にアイルランドのラキ火山が浅間山よりも桁違いの大噴火をしており、このころの世界的に起こった飢饉はおそらくこの火山の影響が大きいと考えられているからです。 なぜなら、その前にアイルランドのラキ火山が浅間山よりも桁違いの大噴火をしており、このころの世界的に起こった飢饉はおそらくこの火山の影響が大きいと考えられているからです。
-本の中で「当否はともかく」と書いてあるところを見ると作者もあまり信じてはいなさそうですが、わざわざ信憑性が低い論を知るより、より信憑性が高い説があるならそちらを知りたいという人もいると思いますので、指摘しておきます。+本の中で「当否はともかく」と書いてあるところを見ると作者もあまり信じてはいなさそうですが、わざわざ本を買って時間をかけて読み、信憑性が低い論を知るより、より信憑性が高い説があるならそちらを知りたいという人もいると思いますので、指摘しておきます。
[[ラキ火山:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AD%E7%81%AB%E5%B1%B1]] [[ラキ火山:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AD%E7%81%AB%E5%B1%B1]]
Line 116: Line 133:
とあり、ちゃんとした論文がこの本の出版の20年以上前に出ています。 とあり、ちゃんとした論文がこの本の出版の20年以上前に出ています。
 +
 +ちゃんとした研究の成果を俗説扱いするのは良くないと思うので指摘しておきます。
[[Wikipedia OK:https://ja.wikipedia.org/wiki/OK_(%E8%A1%A8%E7%8F%BE)]] [[Wikipedia OK:https://ja.wikipedia.org/wiki/OK_(%E8%A1%A8%E7%8F%BE)]]
Line 130: Line 149:
おそらくルイ十四世の有名な言葉「朕は国家なり」をもとに、日本の産業界が作った言葉ではないかと思われます。 おそらくルイ十四世の有名な言葉「朕は国家なり」をもとに、日本の産業界が作った言葉ではないかと思われます。
「鉄道は国家なり」はこれのさらなる派生ではないかと思います。 「鉄道は国家なり」はこれのさらなる派生ではないかと思います。
-また、特に有名でも無いと思います。+ 
 +また、特に有名な言葉でもないと思います。 
 + 
 +*345ページ「人に歴史あり 魯迅(1881〜1936年)」 [#a9644ed1] 
 + 
 +魯迅について、日本の仙台医学専門学校で試験不正行為のいいがかりをうけた「事件」が退学を決意し文学に打ち込むようになったという記述があります。しかし、一般的には魯迅が自国に帰り文学の道を志すことになったのは、中国人がロシアのスパイとして打ち首にされそうになっている幻灯写真を、中国人自身がただ眺めているのを見たことがきっかけとされています。このことは「幻灯事件」などと呼ばれています。 
 + 
 +なぜなら、時系列的にこちらが後で、なにより魯迅自身がはじめての小説集「吶喊」の自序でそう書いているからです。 
 + 
 +試験不正のことも魯迅に影響に与えたと思いますので誤りではないかも知れません。この本の作者がどういう意図で魯迅の作家へのきっかけとしてこれを選んだのかも分かりません。しかし、一般的な説を知りたい人も多いと思いますので、ここで指摘しておきます。 
 + 
 +[[Wikipedia 魯迅:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%AF%E8%BF%85]] 
 + 
 +[[青空文庫「吶喊」原序:https://www.aozora.gr.jp/cards/001124/files/42933_31543.html]] 
 + 
 +*368ページ「勝者が世界を分割する?」 [#ie4ed310] 
 + 
 +「これは「チャーチル・メモ」(百分率協定)とよばれ、 戦後ヨーロッパの分裂のきっかけとなりました。 」という記述がありますが、百分率協定(またはパーセンテージ協定)のことを「チャーチル・メモ」とも呼ぶという事実は確認できませんでした。 
 + 
 +英語でインターネット検索すると「The Churchill Memorandum」という海外の歴史ミステリーがあり、「チャーチル・メモとは何か?」が謎の一つとなっています。これでチャーチル・メモが百分率協定の事と一般に知られていては、タイトルでいきなりネタバレになるので、少なくとも英語圏ではこのように呼ぶ習慣はなさそうです。 
 + 
 +日本語でも百分率協定をチャーチル・メモと呼んでいる例は見つかりませんでした。見つからなかったからといって、絶対にないとは言えませんが、一般的ではないのは確かだと思います。
*376ページ「冷戦はどのようにでき上がったの?」 [#kdd0df67] *376ページ「冷戦はどのようにでき上がったの?」 [#kdd0df67]
Line 151: Line 191:
-&font(Red){作成中};+*最後に [#c34a546f] 
 + 
 +ここで指摘したのは、歴史が得意でもない私が、それでも何かおかしいと思った部分をインターネットや書籍で調べてやはり何かおかしかった部分です。これ以外にも正確ではなさそうな部分、重要性より珍奇性を話題の選択基準としているような部分、作者の独自解釈なのか一般的な解釈なのかどうかわからない部分は多くあります。 
 + 
 +この本は現在でも電子書籍として入手可能なようですが、タイトル通り、世界史の教科書のダイジェスト版のようなものを想像して、正確な事実が書いてある本だと思わない方が良いでしょう。 
 + 
 +また、すでに読んでしまった人にはこのページがその知識を疑い必要なら修正するのに少しでも役立てばと思います。


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