4: 2019-03-22 (金) 03:47:25 njf[6] [7] [8] | 5: 2019-03-29 (金) 15:14:49 njf[6] [9] [10] | ||
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ルターには自分の事業を手伝って欲しかったようで、ルターが聖職者になるときいて最初は反対したそうです。 | ルターには自分の事業を手伝って欲しかったようで、ルターが聖職者になるときいて最初は反対したそうです。 | ||
- | その後は地元の仲間とともに多額の寄付も行っており、人望も資金力もあったようです。よって特に事業がつぶされているような気配はありません。 | + | その後は地元の仲間とともに訪れて多額の寄付も行っており、人望も資金力もあったようです。よって特に事業がつぶされているような気配はありません。 |
その後、何かあったのか、それとも若い頃に何かあったのかも知れませんが、一般的には父親の事業がフッガー家につぶされたことを、ルターの免罪符糾弾の動機とは考えられていないようです。 | その後、何かあったのか、それとも若い頃に何かあったのかも知れませんが、一般的には父親の事業がフッガー家につぶされたことを、ルターの免罪符糾弾の動機とは考えられていないようです。 | ||
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[[Wikipedia OK:https://ja.wikipedia.org/wiki/OK_(%E8%A1%A8%E7%8F%BE)]] | [[Wikipedia OK:https://ja.wikipedia.org/wiki/OK_(%E8%A1%A8%E7%8F%BE)]] | ||
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+ | *302ページ「なぜ、ドイツは3B政策だったの?」 [#k9c1ac3b] | ||
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+ | モルトケについて、「当時その信条を「鉄道は国家なり」と断言したことは有名です。」という記述がありますが、この「鉄道は国家なり」をモルトケが言ったという事実は確認できませんでした。 | ||
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+ | モルトケが鉄道を重視したのは事実で、「ドイツ参謀本部(渡部 昇一 著)」という本に「鉄道は国家なり」という節があり、モルトケについて書かれています。しかし、この中でもこれが彼の発言であるといった記述はありませんでした。 | ||
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+ | この言葉自体は日本の物ではないかと思います。 | ||
+ | 同じようなものとして「鉄は国家なり」という言葉がビスマルクの発言とされることがありますが、これも彼が実際に言った訳ではありません。 | ||
+ | インターネットで検索すると、この言葉は日本の製鉄産業関係者が使ったようです。 | ||
+ | おそらくルイ十四世の有名な言葉「朕は国家なり」をもとに、日本の産業界が作った言葉ではないかと思われます。 | ||
+ | 「鉄道は国家なり」はこれのさらなる派生ではないかと思います。 | ||
+ | また、特に有名でも無いと思います。 | ||
*376ページ「冷戦はどのようにでき上がったの?」 [#kdd0df67] | *376ページ「冷戦はどのようにでき上がったの?」 [#kdd0df67] |
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